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移住者インタビュー

横浜から家族で徳島へ。夫婦ふたりで営む一反農業と小規模6次産業

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黒川 真太郎さん  喜美恵さん  

出身地:神奈川

移住年:2012年

現住所:阿南市

職業:農業、食品加工・販売

取材年月:2017年2月

横浜在住時に遭遇した東日本大震災で、都会生活のもろさ、お金の無力さを実感したという黒川さんご夫婦。子どもたちのためにも「ものを作り出す暮らし」をしようと移住を決意。移住前から現在まで、たくさんの方との出会いがありました。

あたりまえの暮らしが根本から崩れた東日本大震災

横浜から移住されたのは2012年、東日本大震災の翌年ですね。

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真太郎さん:はい、私たちは夫婦揃って横浜生まれ横浜育ちなんです。向こうでは大型船や艦艇の造船をする仕事をしていたんですが、ものづくりが好きでしたし、達成感のある仕事に誇りを持っていました。
横浜は住みやすくていい街ですし、何の不満もありませんでした。震災が起こるまでは。

震災翌日、水を買おうとスーパーに行って驚きました。もう食料がほとんどなかったんです。カートに食べきれないほど大量の商品を載せた年配の女性が「買う物が何もない!いつ入ってくるんだ」と店員さんに詰め寄るのを見て「なんて身勝手なんだ!もし関東で大震災が起こったら子ども達はどうなってしまうんだろうか」と不安を覚えました。
当時、長女は6歳、下の息子はまだ0歳でした。
お金があっても物が無ければ子どもに食べさせてやることもできない。
都会のもろさ、お金の無力さを痛感しました。

そこから移住を検討されるようになったんですか?

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真太郎さん:自分たちで食べ物をつくりだす暮らしができたら、という思いは生まれましたが、すぐに移住とか、そこまでの気持ちはなかったんです。ところがこの人(喜美恵さん)から、もう嫌がらせか、というくらい仕事中にメールが届くようになって(笑)。いろいろ情報を集めては送ってくるんです。それでだんだん、こちらも移住を本気で考えざるをえなくなった、という感じでしたね。

喜美恵さん:二人とも都会生まれで田舎が無いので、候補地を探そうと東京で行われていた移住相談会に行ったんです。そこでたまたま徳島県ブースに立ち寄って。徳島とは縁もゆかりもなかったんですが、その時相談にのってくれた徳島県の職員の方の説明が本当に的確で。「この人の話は信用できる。徳島に決めよう」と。

真太郎さん:担当がその方じゃなかったら、徳島に来ていなかったかもしれません。移住地選びには、その土地の最初に出会った人の印象も大切ですよね。

阿南市に移住することになった経緯は?

真太郎さん:2012年の2月に、下見のために家族で徳島に来たんですが、今と違って移住への取り組みがまだあまり進んでいなかったんですよね。知人もいないので、まずは不動産屋とハローワークを訪れて情報収集しようと思ったんですが、思ったような情報が得られず、一時は移住を断念しようと考えました。そんな時に偶然「新野支援隊」の方々と出会ったんです。阿南市新野町で、民間有志による町おこしをしているグループです。彼らの協力で話がどんどん進み、鉄工所での仕事を紹介していただき、2012年の6月には家族4人で移住を果たしました。

黒川さんご夫婦は本当に、出会いに恵まれていますね。

真太郎さん:はい。こうした出会い無くしては、移住を実現することはできませんでしたね。
でも、移住後は仮住まいのアパート暮らし。仕事がなくては暮らしていけないからと前職の技術を買われて鉄工所で働いていましたが「つくりだす暮らしとしての農業をしたくて徳島にきたはず」との思いがあり、支援隊の方に相談したところ「できるところからやってみたらいいよ」と、耕作放棄地を一反貸していただけることになったんです。

「つくりだす暮らし」としての農業をスタート

希望がどんどん実現していったんですね。

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真太郎さん:でも、農業に関しては全くの素人でしたから。さあ、どうしようという時にタイミングよく「有機農業サポートセンター」の研修生募集を知ったんです。研修期間は6か月。半年間無収入で研修を受けることにためらいはありましたが、思い切って応募しました。勤め先の社長も私の決意や思いを知って、快く送り出してくれました。
有機栽培について学んだことを、借りていた畑ですぐ実践しました。2年間耕作放棄地だった畑の土が、美味しい作物ができる良い土へと変わっていきました。
研修後は農業と食品加工・販売・配送を行う事業をスタートさせました。まずは10種類程度の地元野菜を箱詰めにした「野菜セット」と新野町で収穫されたお米を、関東に住んでいる友人や知人に利用してもらい、感想を聞きました。
野菜もお米も新鮮で美味しいと好評でした。新野町で穫れる食材の美味しさを他者目線から実感でき、事業が成り立つ手応えを感じたんです。

小さな6次産業を、夫婦2人ではじめる

現在の事業の基盤はどのような形でしょうか。

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真太郎さん:私たち「彩魁企画」の事業は3本柱。農業1/3、食品加工1/3、販売・配送1/3です。
配送する野菜は10種類前後のセット販売なので、ちょっと珍しい野菜なども積極的に取り組んでいます。効能やレシピを紹介して、希望者にプラスのオプションとして紹介したところ、とても好評でした。お米は契約している消費者から年間の必要量を予約してもらい、お米農家さんに委託栽培をお願いしています。新たにブランド米として「新野源流米」「新野無農薬米」を作りました。米どころの新潟県や宮城県から購入してくださってる方もいるんですよ。新野町のお米はそれだけ美味しいということです。

喜美恵さん:食品加工は地産地消がテーマ。最初は新野町のお米と県内の塩で作れるポン煎餅を作りました。離乳食やアレルギーがある子のおやつにもなる。災害用の非常食にもなるので、熊本地震の救援物資として避難所にも送りました。その後お米を使ったパンやケーキを作るようになり、作業所の一角でパンの販売もスタートしました。お米を使っているのでモチモチした食感で、食べごたえもあるんです。週1日だけオープンのパン屋ですが、食パンは開店1時間ほどで完売になるほどの人気商品です。

真太郎さん:最終消費者と直接のやり取りをしているので、その感想をフィードバックすることによって地元の農家を応援することにつながっていると思っています。

今の暮らしに満足していらっしゃいますか?

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喜美恵さん:都会にあって田舎にないもの、というのはたしかにありますが、それなら自分たちで作ればいいんですよね。もうね、やりたいことがいっぱいで1日24時間じゃ時間が足りません(笑)。田舎には眠ってる可能性がいっぱいあります。しかも、何かをしようというときに小回りのきく良さがありますね。

それに何と言っても食べ物が美味しい!土作りがいいと野菜が甘いんです。子どもたちも野菜が大好きになりました。

真太郎さん:海あり山あり。休日に子どもたちと自然の中で過ごせます。半自給自足も可能ですね。それと、野菜やお米を通して多くの出会いとつながりができたこと。自分が作ったものや地域の方が作ったものを直送することで全国につながりが広がって、喜ばれるってすごいなぁと感じます。都会生活では不可能だった田舎の魅力です!

これから移住をしてくる方にアドバイスをお願いします。

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喜美恵さん:あいさつやコミュニケーションは大切。お年寄りと話ができるようになると、生活がスムーズですよね。

真太郎さん:わからないことがあれば地元の方になんでも聞いてみることです。地元の方とコミュニケーションがとれると、農業のアドバイスなどもしてもらえますし、聞くことが成功の近道です。今はみんな何でもネットで調べるけれど、土も違えば気候も違う。地元のやり方、生きた情報を知ろうとすれば自然と地元の人と接するし、自分たちのことも知ってもらえます。皆さん本当に親切ですよ。

 

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