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移住者インタビュー

車が一台も走らない、小さな島での暮らし

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佐々木 敦生さん

出身地:京都府

移住年:2011年

現住所:牟岐町出羽島

職業:出羽島帆布工房

 取材年月:2016年2月

祖父母の住んでいた牟岐町・出羽島。子供の頃、遊びに来ていたこの小さな島で、手作りの帆布バッグ工房を立ち上げた佐々木さん。彼の作るバッグはシンプルなデザイン、丈夫で機能的。まるで彼の生き方そのもののようだ。島をぐるりと囲む青い海と空が、若い家族をあたたかく包んでくれている。

祖父母の家を改装してはじめた帆布工房。

こんにちは。素敵な工房ですね。

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佐々木さん:ありがとうございます。もともと母方の祖父母が暮らしていた家なんです。子供の頃、よく遊びに来ていました。来ると毎日海に遊びに行っていましたね。

帆布バッグを作るようになったのは、ここに工房を立ち上げることを決めてからです。京都では着物の小物を作る職人をしていました。家業だったんです。仕事が一段落して、独立を考えた時に「出羽島の家はどうだ」という話になって。ここで作るなら帆布のバッグはどうだろうと。

 

 

販売はこの工房とインターネットだけなんですか

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植松さん:たまたま行った『新・農業人フェア』というイベントで、NPO法人『地球緑化センター』のブースに立ち寄ったことがきっかけで「緑のふるさと協力隊」について知りました。
その時、今自分がやってみたいことが全てこの1年間のプログラムの中に詰まっていることを確信しました。
その時の胸の高まり、ワクワクした気持ちは今でもよく覚えています。
1年間を農山村地域で過ごし、その地に溶け込んで活動をするんですが、派遣される地域については、隊員と受け入れ団体がそれぞれ希望を伝え、センターがマッチングする形になっていました。
同期は自分を含めて33人です。
それぞれ高知や福井、滋賀、新潟、長野、愛知などさまざまな地域に派遣されていきました。その中で、私は佐那河内村にやってきたんです。

その1年間はいかがでしたか?

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植松さん:「嬉しい」と思うことがたくさんあった1年間でした。私は佐那河内村の主産業である農作業のお手伝いをしたり、老人会に行ったり、村のお母さん方が集まる会に参加させてもらい一緒にお料理を作ったりしました。佐那河内の人たちは本当にみんな料理上手なんです。『おたよりーな』という手作り新聞を発行していたのですが、その中でもレシピなどを紹介させてもらいました。
秋ごろからは『みどりなパーティー』という名前で、1品持ち寄りのお食事会を、私の家で毎月行っていました。来てくださる方がいろいろな料理を持ってきてくれて、それがみんなの会話になり、レシピを聞いたり、教え合ったりしていました。
そんな毎日だったので、本当にたくさんの人とつながり、関わることができました。ただ、緑のふるさと協力隊は、村の人と関わることであれば何でも活動だったので、活動とプライベートが一緒すぎて悩むことも多かったです。
また任期中は、基本的には自治体の外に出てはいけないという規約がありました。なので、24時間いつも役割意識が抜けなくて。「昨日○○におったな」とか「あそこに車が駐まっとったな」という言葉に、いつも注目されているような気がして、苦しく感じる時もありました。そういった言動が、私を心配してくれているからだ、と思えるようになってからは楽になりましたけれど(笑)。

協力隊の任期を終えて、いったん徳島を離れたんですよね。

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植松さん:一度は東京に帰ろうと思っていました。
東京にいたときにはわからなかった、田舎の良いところやそうでないところを知ることができたし、東京の良いところとそうでないところに気付けたので、帰ってみてわかることもあるんじゃないかと思ったので。
任期を終えて、他の場所も見てみたいと思い、協力隊をしていた仲間がそのまま残っている地域を訪ねました。
実際、嫌なことや辛いこともあったので、他の地域に行くことも頭の中では考えていました。
田舎って、景色が良くて自然があって人が温かい、そう言われることが多いと思います。
その中で住む場所を決めるとき、大切なのは「やりたいこと」なのか、「景色」や「自然」「環境」なのか、それとも「人」なのか。
当時の私はまだ、自分が何に重きをおいているのかがわからなかった。それを確かめたかったから、仲間を訪ねたり高知に滞在したりしたんです。
そうやっていろいろ見たけれど、結局は佐那河内村に戻ってこようと思った。
私にとって大切なのは「人」だったんです。
どこに行っても、お世話になった佐那河内の人たちにはかなわないことに気づいたんです。
滞在していた1年の間で、自然に笑顔でいられたり、自分に少し自信が持てたり、以前の自分よりも今の自分の方が好きだと思えることができました。
それは村の人達が褒めてくれたり、いろんな温かい言葉をかけてくれたり優しくしてくれたり・・・そうやってたくさんの人が自分を支えてくれたおかげ。
それは私にとって本当にかけがえのない経験で、だから、お世話になった皆さんに恩返しがしたいと思ったんです。
村の人たちに喜んでもらえることや楽しんでもらえることを作り、みんなの笑顔を見ることが、今の自分が一番いきいきとできる「やりたいこと」だと思い、ここに戻ってきました。

様々な世代の人が利用できる、地域の憩いの場をつくりたい。

現在の生活、そしてこれからの夢を教えてください。

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植松さん:現在は硬筆教室を開いています。子供向け、大人向け両方。今は大人の生徒さんのほうが多いかな。
それから今は集落支援員として、老人会に伺い取材・制作した『おひさま通信』を発行しています。協力隊の時に発行していた『おたよりーな』のような感じですね。
それと、佐那河内活性化プロジェクト『宮前笑会』の一員として活動しています。
将来的には、村の人たちが喜んでくれて、村の人の楽しみのひとつになる場所を作り、そこにいてみんなの笑顔とつながっていたい。
協力隊として活動してきた自分だからこそできることをやっていきたいと思っています。

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