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移住者インタビュー

世界をいろいろ見てきたけどこんないいとこなかなかないよ

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永原 レキさん
  
出身地:海陽町   移住年:2016年   現住所:海陽町
     職業:in Btween Blues代表/フリーサーファー

                               取材年月:2018年3月

 フリーサーファーの永原レキさんは海陽町で生まれ育ち,世界のあちこちを訪ねたあとにUターンしてこられました。現在はふるさとの海岸沿いで雑貨店を営みながら海陽町の魅力を国内外に届けようと活躍中です。白い壁に藍色の扉の店内はサーフボードから衣類,アクセサリーまで藍づくしの商品が並んでいました。

-お店にある商品はご自分で作られているのですか?-

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藍染体験ができる工房

 木のスケートボードは自分で削って作ったりしてますけど,基本的には染め作業をやっています。自分が染めた生地を縫製会社に頼んでベビー服を作ってもらったり,サーフファクトリーの方に加工してもらってサーフボードにしてもらったり,いろんな『ものづくり』の作り手さんに作ってもらって販売しています。藍染体験も工房(店内奥)の窓際で海を見ながらしてもらっています。

 今、海陽町自体がサーフィンで,県外海外の人たちから注目され始めていて,人の流れがすごい盛んになってきているんです。そういう人たちに海とかサーフィンだけじゃなくて徳島には他にももっといろんな魅力があるということを伝えたいと思っていて。僕の場合そのベースが藍という文化で『藍+α』『藍+なにか』をテーマにやっています。

-藍はいろんなことに使えるようですね-

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オーガニックの材料を使った
スイーツや飲み物をカフェで。

  藍は染め以外に種や葉っぱを使ったお菓子やお茶もあるんですよ。種分けして焙煎してお茶を淹れると藍の番茶ができるんです。他にも山師さんが指の間に挟んでマダニ除けに使ったりとか,傷薬とか整腸剤という薬草として昔から人の肌や生活を助けてくれた植物らしいんですよね。昔の人は当たり前に藍を生活に取り入れて,藍の文化は人の生活を支えてきて,藍が大事にされてきた理由はそこにあります。でも今は色が染まる,色が出るということで染料として認識されていて,そういう効能とかは一般に知られていないじゃないですか。それがもったいない。色の美しさ+α,『衣』だけじゃなく『食』からもお客さんに体験体感してもらうことで藍の歴史や魅力や価値を知ってもらえたらなぁと思っています。

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-藍やサーフィンとは小さい頃から関わりが?- 

 

 両親は離婚していて小さい頃から母親に育てられているんですけれども,父親がプロサーファーで関西から夫婦で海陽町に移住してきて,僕はこっちで生まれました。でも藍もサーフィンも仕事として接してきたわけじゃないです。14歳まではサーファーとかサーフィンは好きじゃなかったし海にも近寄りませんでした。

  サーフィンには14才の夏にハマったんですよね。きっかけは,同級生の仲のいい友だちがサーフボードを持って海に行きだして僕もいやいやついていったのが始まりです。見よう見まねでやったら波の上に立てて,それがめちゃめちゃおもしろくて,そっから毎日海に入るようになって。それまでの一元的にサーフィンをネガティブに捉えていたのは間違いだったなと思うようになりました。

-サーフィンによくない印象があったのですか?-

 サーファーには悪いことをする人がいます。サーフィンに限らずどこの世界にもいると思いますけど,サーフィンは特にわかりやすいんですよね。路駐したり酒飲んで騒いだり,人の家の水道を勝手に使ったり。公的な場所でも地元の人たちに対する非常識な行為っていうのが昔は目につきました。僕の家庭でも父親の仲間に嫌な思いをした記憶がありますし。その頃のサーファーに対するレッテルみたいなマイナスイメージっていうのは僕にもあったように地元の人たちの中にもあってそれは今も根強く残っていますね。

 でも素行の悪い人ばかりじゃないんです。こっちに越してきて家庭を作って,子どもたちを保育園や小学校に行かせてとリアルにここに根付いて暮らし,町民のひとりになってがんばっているサーファーたちもいます。お医者さんや著名人,芸能人といった方もサーフィンをしに足を運んでくれていて,宿泊施設に泊まって地元の食事を食べて,お土産を買ってと何かしらの経済効果をもたらしてくれていますし,彼らの立場で外の世界で海陽という名前,徳島という名前を発信してくれています。
 そういう人たちのおかげでちょっとずつマイナスイメージが払拭されつつあって一昨日(3月10日)海陽史上初,町主催でサーフィンをテーマにしたイベントが開催されました。そんなのこれまでだったら全くありえなかったことです。サーフィンがオリンピックの正式競技に決まったことに加えて,地元出身の高校生がジュニア大会で日本人初の世界一になったり,僕らのちょっと下のやつがプロサーフィンで日本一,グランドチャンピオンになったりとか,アスリートたちのがんばりがきいてるんでしょうね。地域や行政がようやくサーフィンのこの土地にもたらす恩恵に気づいてくれるようになりだしたのは感じますね。

-このお話を伺っている時にちょうどサーファーの青年たちが来店しました-
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西兄弟と。右側がユウジさん。レキさんは「自分の売り込むのもプロサーファーの仕事」とかわいい後輩にアドバイス。

レキさん  彼らが世界大会で結果残した10代の西くんです。兄弟でプロサーファーで次のオリンピックの代表候補選手兄弟。ユウジ(お兄さんのほう)が中1の時に徳島に移住してきました。それまでも毎週家族で波に乗りに来てたよな。

―せっかくなので海陽町の魅力を教えてください。(むちゃぶりしてしまいました・・)― 

ユウジさん 海部・日和佐にはいい波が来ます。サーフポイントもあるし波の質もいいです。海陽町は雰囲気がゆっくりしていて好きです。忙しいのはあまり好きじゃないから。

レキさん 海陽町の波のクオリティは全国トップクラスやし,『地元はいい』とここの波が思わせてくれるんです。僕らみたいな考えのやつが増えたら地元を出ていこうとしているやつの中にサーファーが増えて,ここの波が好きなやつが増えたら自然にここを選ぶやつが増えるやろうし,サーフィンがもっとここに根付いたら過疎の改善・人口流出の歯止めに絶対つながると思ってます。
 

ーそんないい波のある海陽町を出たのはなぜですか?ー

 最初は競技者としてやっていきたい気持ちがあったから中央に行って修行したかったですね。外に出ていったのはいろんな波に乗りたい気持ちがあったから。それにサーフィンを活かしたまち作りとか,サーフィンを地元に認めてもらいたい気持ちがずっとあって,サーフィンが上手く反映されているような土地とか暮らしが見たかったし勉強して持ち帰りたいという気持ちもありました。僕はサーフィンをやって,サーフィンには罪がないと感じたし,サーファーに素敵な人はいっぱいいるし,サーフィンをやることで自分自身救われた部分があったし世界が広がったんです。それでサーフィンの偏見を拭いたい,サーフィンの魅力を伝えたい,地元に認めてもらいたいと。

-そして帰ってきて藍と出会ったんですね- 

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 藍で染めたお店のドアとレキさん。ここでお話を伺いました。

 僕が藍に惹きつけられたのもサーフィンがきっかけです。
 サーフィンっていうのは波がないとできなくて,都会でいくらお金を出してもできるものじゃなくて,自然が生み出すもので,その波に乗って遊ぶことに僕らは喜びを感じてて。お金を一銭も出さないのに勝手にあるじゃないですか。そういうのって自然の力,自然の素晴らしさというか魅力じゃないですか。自然ありきで僕らは遊べているし場合によっては仕事にもなっている。そしてサーフィンをするにはまず食べなきゃならない。食べ物いうのは基本的に本来は土,農業,漁業から生まれるものでそれがないと人は生きていけない。サーフィンを通して波を通して人っていうのは遊びも生きていくためにも『自然ありき,自然がないとあかんやろう』って感じるようになりました。
 それが徳島には全部揃ってるやないですか。特に海陽町には海も山もありますよね。車でちょっと行ったら海から山に行けて,山菜も採れれば川で鮎が捕れて,海じゃブリやアワビが捕れたり伊勢海老が捕れたりと食がすごい豊富やし,遊びもサーフィンから山登りもできて川遊びもできて。こんなとこないじゃないですか,普通ね。そういう感覚を持って帰ってきて藍染っていう文化に出会ったんです。

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藍に染まった爪。「染めをしたばかりの時は手全体が染まります。」

 藍っていうのは今までは伝統的な工芸文化とかおしゃれというイメージやったんです。でも藍は土と水が豊なところでしか育たんし,そっから生まれた植物に消臭効果,抗菌といった人を守るいろんな効能があって且つ美しい青を出すっていう。そこ
にサーフィンとの共通項を感じたんですよ。僕らサーファーのフィールドの海と空のブルーとその色を生み出す植物の藍。そしてそれを生み出す土と水。全部水とブルーというのでサーファーの僕の中でシンクロしたんです。『これが僕のふる里に根づいてきた文化であって,世界のいろいろを見てきたけれどなかなかないよ』っていう。この本当の価値が,海陽の価値が世の中には伝わっていないから僕がやろうかなと。

 

  藍や遍路ってこの土地で何百年,何千年の歴史があってすんげえかっこいいじゃないですか。それだけの時間をかけて,それだけの人たちが携わってきていて思いを受け継いできているから,その深さはすごいものなんですよ。その歴史の深さや人の思いには間違いなく魅力があってそのレベルはサーフィンとは全然違うと思うんです。サーフィンはただわかりやすい,かっこいい。今の時代に合っているというか。かっこいいというのは大事ですからね。人に何かを伝える時に何かをすごいって思わせるにはコンセプトとか内容とか今までの実績だけじゃなくて人目を引くビジュアルとかデザインも必要で。その時に藍や遍路にはビジュアルや発信のしかたに課題がいっぱいあるかなって思うんです。藍単体だと進化は難しいっていうか,時代についていけない。だから相性のいい文化,サーフィンというフックで引っ掛けて『藍ってこうやって使えるよ』ってセンスのある人たちにどんどん提供したいんです。

-移住を考えている人へのアドバイスを-

 相当な覚悟がいる。笑。僕は『海部町めっちゃいいやん』と思って帰ってきたけど,やっぱり資本主義やしお金が一番っていう世の中なんで,お金がないとやっていけない。人間の生命のいちばん大切なもの,本質は水と土と空気なんですけど,でもそれは『世界』の話であって,『社会』はまた別なんですよね。僕が言っているのは理想。僕らは『社会』に生きていて資本主義っていうのがメインだから命と人間とはちょっとちゃうんですよ。僕はその本質を追求してやってきたけれど結局は社会人。本質が正しいからってそれだけをやり続けて,自分の立ち位置を完全に失って,社会ってのを意識できなかったから,いっぱい痛い目にあって今もそれですごく不安定やし。 
 

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埼玉県から移住され海陽町でヴィーガンランチ(完全植物性の食事)
のお店を営む西森里奈さんと岩根宗さんと。

 サーフィン業界はマイノリティーでマイナースポーツ。藍も今の世の中ではマイノリティで,ひとつのものを作る時間や労力を人件費として考えると高くなるから藍商品の価格も高くなる。そうすると売れない。だから藍を商売としてやっていくのは難しい。僕は好きだからこれを仕事に選んでやっているけど実際めっちゃ不安しかないし給料も全然取れてない。だから安易に「海陽町いいよ,サーフィンいいよ,だから移住しなよ」と公の前ではほんまあんま言えないですよね。本音を言うとね。でもそうじゃなくてちゃんと組織化して地方創生に取り組んでいる先輩たちもいます。夢と理想と現実をちゃんと確立して自分でやっている。そういうとこまで僕も行かんといかん。経済的な結果を出しつつ自然も守っていくというバランスを図りながら生きていかんと。僕の場合,藍とサーフィンをコンセプトにこの海陽町でなにか形にできたら成功なんでしょうね,きっと。今はそれを目指しています。

 (アドバイスは)なんやろうな,賢さと社会を生きていくだけの力,確固たる経
済的な安定力。もしくは賢さと相当な覚悟,ですかね。

 

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