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移住者インタビュー

一人ひとりの顔が見える環境で暮らしていきたい。

川口泰吾さん・鑑子さんご夫婦

川口泰吾さん・鑑子さん

出身地:静岡県・大阪府

移住年:2012年

現住所:神山町

職業:自営業

取材年月:2015年12月

全国各地から注目を集める神山町で2015年に「川口映像事務所」を立ち上げた川口さん夫妻。二人とも県外の出身ですが、それぞれが人生を見つめ直すタイミングで神山町へ移住。神山塾での半年間を経て、少しずつ地域で暮らすことの意味が見えてきたといいます。

生き方を考え直す時期に出会った神山町。

まずは神山町へ移住を決めたきっかけから教えてください。

川口泰吾さん

泰吾さん:もともと神山町のことはテレビやラジオ、雑誌などで何となく知っていたんです。山の中なのに、どこでもインターネットがつながる“ITのまち”みたいな地域という印象があって「いったい、どんなところなんだろう?」と気になっていました。僕は20代前半から東京のCMやプロモーション映像をつくる会社にいたんですが、そのまま映像の仕事を続けていくべきかどうか迷っていた時期があって。インドでの一人旅を経て和歌山県の龍神村で働く友人を手伝っていたとき、神山塾が3期生を募集していることをウェブサイトで知りました。

特定非営利法人(NPO)のグリーンバレーが展開している若者向けの求職者支援訓練ですね。鑑子さんも泰吾さんと同じく、神山塾が移住のきっかけなんですか。

川口鑑子さん

鑑子さん:そうなんです。私は映画が好きで京都の映画館に勤めていたんですが「このままでいいのかな?」と自分の人生の方向性を見つめ直そうと思っていた時期で。神山町については働き方研究家の西村佳哲さんの本で知っていたこともあり、何となく存在が気になっていました。神山塾が3期生を募集していると知って、大阪や京都みたいに個人が埋没してしまうような大都会とは違い、一人ひとりの顔が見える環境に身を置いてみたら、自分がどのように変わるんだろうという興味があったんですね。だから、いわゆる“田舎暮らし”に憧れていたわけではないんですよ。むしろ、地域における人間関係の在り方に強い興味を持っていました。

お二人とも自分の人生を見つめ直すような時期だったのですね。でも、神山塾は求職者支援訓練ですから、期間が終わったタイミングで身の振り方を考える必要があるのでは。

泰吾さん:神山塾での職業訓練は約半年間ですから、ここで暮らしていくためには仕事を見つける必要がありました。僕は神山在住の映像作家である長岡マイルさんに弟子入りするような形で長岡活動寫眞の門を叩いて…。正式な社員ではなかったんですが、ちょうど僕が神山町に来た頃から全国の農山村を取材する『産土』という映像プロジェクトが始まっていたんです。それが3年間も続く予定でしたし、スタートからどっぷり関わっていたので、神山町から離れる気はまったくありませんでした。その頃にはもうフリーランスの映像作家としてやっていこうと決心していたので、独立に向けてさまざまなスキルを習得していく時期だったと思います。

鑑子さん:神山塾の半年間はあっという間で、神山を味わうには全然足りないという感じがしました。もっと地元の方々と出会ってみたかったし、話をしてみたかったので、私も神山町で仕事をしながら暮らしていこうと考えていました。サテライトオフィスのコールセンター業務と高齢者のお宅を回る仕事を掛け持ちでやりながら家を借りて…。もともと神山町は次の生き方を探すためのステップアップとして来た場所でしたが、いつの間にか住み続けたい場所へと変わっていきました。神山町で暮らしていると、周囲の方々の持っている“生きる力”にすごく刺激を受けるんですよ。若い世代が全国から移住してくるのも、そういうところに惹かれているのかもしれませんね。

本当の意味で“地域の一員”となるために。

神山塾が終わってから“地域の一員”として認められたのかなと思うのですが…。

川口泰吾さん・鑑子さんご夫婦

鑑子さん:2013年に結婚したんですが、お恥ずかしいことに町内会や消防に関する事柄については、ほんの最近までよくわかっていなかったんです。地域の行事みたいなものもろくに知らず、都会に生まれ育った人間の感覚のままだったためか、「そういうものなのかな…」と疑問にすら思わなくて。蓋を開けてみれば、地域の方々が「いつまでおるかわからん若い子たちやから」と気を遣ってくれていただけだったんです。だから、地域の一員であるなんてまだまだ言えないんですよ。

泰吾さん:正直、まだまだ“お客さん”だったんだと痛感しましたね。移住してきた方の中には、しっかり地域の行事に参加して、少しずつ根を張っている人たちもいるのに、自分はおろそかにしてしまっていたなと。わからないことがあれば、こちらから近所の人たちときちんと話をしていく。これからは町内会や地域の行事にも、できるだけ顔を出していこうと二人で話し合っていたところです。

なるほど。地元の人々との関わり方は、移住における課題の一つですものね。

川口映像事務所

鑑子さん:今から考えてみれば、グリーンバレーや神山塾の人たちとの関係性を、そのまま地元の人たちとの距離だと勘違いしていたんだと思います。実は昔から神山町に住んでいる地元の人との距離は全然縮まっていなかったんですよね…。自分たちの鈍さもありますけれど、移住施策に力を入れている神山町のような地域では、もしかすると同じような“勘違い”がいくつも生まれている可能性があるかもしれません。

泰吾さん:移住する側、受け入れる側、それぞれに思い込みや先入観みたいなものがあるんでしょうね。でも、その距離を近づけるには、まず移住してきた側から努力していかないと駄目だと思うんです。僕らも映像事務所という看板を掲げてはみたものの、近所の人たちからすれば、どんな仕事なのかはピンとこないはず。極端な話、いつも首からカメラを下げて、何か行事があれば「撮影させてください!」とアピールするくらいでないといけないのかも…。

川口映像事務所

鑑子さん:たぶん、こういう事柄を気にしながら暮らしていくことが、神山町のような場所へ移住するという現実の一面なんだろうなと思います。誰が参加していて、誰が参加していないか、すぐにわかるくらいの人数しかいないわけですから。私が考えていた「一人ひとりの顔が見える環境」の本当の意味が、移住3年目にしてやっとわかりかけてきたような気がします。

川口泰吾さん・鑑子さんご夫婦

人とのつながりが生活のすべてになっていく。

神山町に移住してきて良かった点を教えてください。

川口鑑子さん

泰吾さん:グリーンバレーや神山塾のように移住を受け入れる下地がある点ですね。移住者が多いので、お互いにいろいろ情報交換をしたり、気軽に相談ができるのは有り難いですね。ほかの地域よりも移住に力を入れているメリットの一つだと思います。

鑑子さん:私は地方創生会議の神山版のような活動に参加しているのですが、そういう場に出ると「神山町の住人」と一言でいっても、もともと住んでいる方、Uターンの方、Iターンの方など、いろいろな立場や職業の方がいらっしゃることがわかります。さまざまな立場の住人がいて、多彩な動きがあちこちで起こっているという部分が神山の魅力のような気がします。

2015年6月、お二人は映像事務所を立ち上げられましたが、外部の人から見れば、こういう職種が地域で成り立つのも「さすが神山!」というイメージを抱くのでは。

川口泰吾さん

泰吾さん:創業にあたっては神山塾の代表である祁答院さんにアドバイスをいただいたり、税理士さんや銀行さんを紹介していただいたり…。神山塾からの人間関係がなければ、とても自分たちの手で映像事務所を立ち上げるのは難しかったと思います。

鑑子さん:そうでなければ、いきなり移住してきて起業するなんて絶対に無理ですよね。信用のある地元の方の紹介があったから成立したというか。税理士さんも神山塾で講義をしてくれた方でしたしね。映像のご依頼もそう。たとえば、移住してきた知人の家でごはんをいただいているときに、徳島県出身のシンガーソングライターの福富弥生さんのプロモーション映像をつくる話が出てきたり。そういう人と人とのつながりで仕事が生まれていくのも嬉しいですね。

泰吾さん:有り難いことに仕事の依頼はコンスタントにいただいているのですが、徳島県は意外と映像作家が多いんですよ。これからはそういう人たちと違う個性を出していかなければと考えています。2013年には神山町に住む人々を追ったドキュメンタリー作品『ある日 森で、、、』を撮ったのですが、これからの自分のライフワークとしては、徳島県の特産物「藍」を撮り続けていきたいと思っているんですよ。今は、上板町で藍の栽培から染色、製品づくりまでを行う”BUAISOU.”の活動を中心に定期的に取材を行い、さまざまな素材を撮り貯めています。

最後に移住を考えている人へのメッセージをお願いします。

川口泰吾さん・鑑子さんご夫婦

鑑子さん:あまり自分の生き方やスタイルに固執せずに、むしろ、わからないことや知らないことは、率直に「これってどうなんでしょう?」と聞いてみるといいのかなという気がします。そういうところからコミュニケーションが生まれるのかな、と。あと、夏の湿気やカビに悩まされたり、冬の寒さにびっくりしたりすることも、サバイバルで面白いのかなと思います(笑)。

泰吾さん:そうですね。「これからどうなっちゃうんだろう?」という部分を面白がるくらいでないと、こちらでの暮らしは楽しめないかもしれません。神山町に移住してこなければ、おそらく独立もしていなかっただろうし、結婚もしていなかったと思います。自分自身が人生の“当事者”になっている感覚がある暮らしをしていきたいですね。

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